日記1/石川淳と文体と抱負/7月15日

 僕が日記を書こうと思ったのは、自分に対する徹底的な不信感に端を発するが、さて筆を執ってみると、さっきまで読んでいた本の内容も霧散して、何も書くことができず、いよいよ不信感は増すばかりである。
 つまり、日常生活を描写するために過ごすことで、その異化、あるいは装飾を試みるのである。
 さて、先のような長ったらしい文章は、私の理想の文体であるが、これは石川淳という作家の文章で、初読の折には酷く衝撃を受けた。ここにその文章を示してみよう。

鉛筆描きの略図に添えて出された十円札で怪しげな身なりを整え、さて今草に寝転んでいるわたしの懐にはもう帰りの電車賃しか残ってはいず、しかも尋ねる余波善作の別荘はどの方角やら、辛うじて判ったのが前に述べた二つの地点だけとすれば、もはやこの二点を結ぶ直線を辿り返すより仕方なく、駅からはまた電車でお茶の水まで逆戻りをするばかり。(石川淳『山桜』)

  さて、山桜もこのような文体を通底しているわけではなく、確か数文程度であったはずだが、僕はこの文章を理想的なものとして見ている。まるで正方形の石張りの地面に傘を当てて歩くときに、傘の陥没するリズムを掌で感じているような楽しさがある。それぞれの文節は手を伸ばし、次の文節と手を結んでいて、その融和を眺めるのだ。

 もう一つ、今度は長く抜き出してみたい。

 それから数分後、わたしは先刻三治が指さした小さい島の水族館に来ていた。それは島というよりも岸からつづいて海のほうへふくれ出た土の瘤で、海に浸っている部分がそっくり水族館を成しており、突端の岩鼻には見晴台があって、今わたしが立っているのはその台の上である。もう日ざしの薄くなった空に相変わらずフジが押絵のように貼りついていたが、わたしはその景色に背を向けて、眼の下の水中に群れる魚どもを眺めていた。この水族館には屋根もなく、硝子箱もなく、秋天の下に一劃の水面が澄み渡わたり、水の中に設けられた仕切が魚どもの種類を分ち、そして水は絶えず打ち寄せる沖の潮と入れ替っていた。潮に淀みがないごとく、ここでは魚どもに窶れがなかった。鋼の光沢をもったメジマグロのむれが不敵に、強靭に、すいすいと水を切って、この大きい生簀の底に鮮やかな藍を掃いていた。見物が番人を呼んで餌を投げさせた。バケツにはいっている鯖の切が高く飛んで水面に落ちると、たちまち跳ね上った数尾の肌がぴかりと光って、もう鯖の切は見えない。(石川淳マルスの歌』)

 僕は石川淳のこのような文体が好きだが、彼の文体を掴みかねている。彼の作品は細切れの文体によって成っているものが多いが、こうした連綿と繋がる文もあり、ひいて『曾呂利咄』のような作品全体がたった一つの文で構成されたような作品もある。
 文体にばかり筆が進んでしまったから、ここで彼の作風について述べたいが、述べられるほど読んではおらず、ただ記憶にある作品の美点をとりたてて言うに過ぎない。しかし、私は彼の『鷹』が大好きだ。と、ここで『鷹』について述べたいのだが、ただ映画のような世界に飲み込まれたばかりで、細部の記憶は薄く、恥ずかしながら言葉を紡ぐことができそうにない。だから僕は僕を不信するしかないのだ。

 これから毎日このような雑記を書いていきたいと思う。読書という営為に、私が描写するという視点を乗せることで、その深化と、私の信頼を取り戻したいと思う。また、日常に虫眼鏡を当てて、新たな光を灯すことができれば僥倖であるが、ややもすると発火すれば飛び上がって喜ぶだろう。